人間をCPUに例えたユヴァル・ノア・ハラリの文章がなんとなく頭にずっと残っていて、確認し直してみた。

歴史を要約すれば
データ至上主義の視点に立つと、人類という種全体を単一のデータ処理システムとして解釈してもいいかもしれない。一人ひとりの人間はそのシステムのチップの役目を果たす。そう解釈すれば歴史全体を、以下の四つの基本的な方法を通してこのシステムの効率を高める過程として捉えることもできる。

1 プロセッサーの数を増やす。
人口一〇万人の都市は人口一〇〇〇人の村より演算能力が高い。

2 プロセッサーの種類を増やす。
異なるプロセッサーは異なる方法で計算し、データを分析するかもしれない。そのため、単一のシステムで数種のプロセッサーを使うと、システムのダイナミズムと創造力が増すことがある。農民と聖職者と医師の会話は、三人の狩猟採集民の会話からはけっして生まれないような斬新なアイデアを生み出しうる。

3 プロセッサー間の接続数を増やす。
単にプロセッサーの数や種類を増やしても、相互の接続が乏しければほとんど意味がない。一〇都市を結ぶ交易ネットワークは、孤立した一〇の都市より、経済の面でも、テクノロジーの面でも、社会の面でもずっと多くの革新をもたらす可能性が高い。

4 既存の接続に沿って動く自由を増やす。
プロセッサーを接続しても、データが自由に流れることができなければほとんど役に立たない。一〇都市間にただ道を通しても、追いはぎが出没したり、被害妄想を抱く専制君主が、商人や旅人に好きなように移動することを許さなかったりしたら、そうした道もたいして役には立たない。

ユヴァル・ノア・ハラリ「ホモ・デウス 上下合本版 テクノロジーとサピエンスの未来」
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端的に書くと、「人数・多様性・交流・自由を増やすと良い」ということになる。

とりあえず簡単に数式にするとこうなる
集団の強さ = 人数 + 多様性 + 交流 + 自由
※ たぶん、実際はこんな単純な式ではなく、人数はそこまで重要ではなかったり、自由の効果はもっと高かったりするはず。

中国やインドのような人口大国は過去においてずっと強国であったが、産業革命から現在までの時代はテクノロジーによって多様性・交流・自由が増え、人口が少ない国でも力を強めることが出来たと考えられるのかもしれない。

今後、人口大国にテクノロジーが普及すれば、中国やインドの再興が起きるのかも。