なぜ僕は働くことに後ろ向きなのか

原因は幼い頃に観察した両親やその他の大人たちが楽しそうに暮らしていなかったからだと思う。皆日々の労働に疲弊しているように見えたし、特に母親はよくそれを口にしていた。

近所の年上の学生たちも幼い子供に比べれば、天真爛漫さは消えていて魂からの純粋な喜びのようなものはほとんど感じられないように見えた。

幼稚園に入る前にはそのことに気が付いていたので、僕はひどい所に生まれてきてしまったなあと思うとともに、とにかく大人になるのが嫌だった。幼稚園に入るのも不幸への階段を上るようで本当に嫌だったのを覚えている。

小学校に行くのも嫌で嫌で仕方がなかった。

誰かが買ってくれた革の立派なランドセルを見て落ち込んだのを覚えている。まあ、入ったら入ったでそれなりに楽しかったのだけど。

中学高校ももちろん嫌だった。

映画「スタインドバイミー」がいうように、魂が純粋に喜怒哀楽を感じるような日々は小学校低学年くらいまでで、それ以上成長すると、何か上の空の毎日になってしまう。

幼い頃の昆虫採集の日々が人生最高の時間だったと今でも思う。


このような少し浮世離れした人間が働くことの意義について真面目に考えると、食うための仕事はやっぱりつまらない。これはおそらく安全かつ便利に生活することが多くの先進国では普通になったから。

次に自分で発案して他人よりうまくやれる仕事は短い時間で大きい成果を出すことができるし、そこそこ熱中できる。でもまあその程度。

仕事内容が自分や周りの人間や生物にとって必要性の高い内容なら熱心にやれるんだろうなあと思う。必要に迫られてとも言えるけど。

今なら温暖化対策や宇宙開発や環境保護だろうか。人間の生き残りのための仕事。

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