年齢は気にしないほうが楽しいような気がする
もっとも、人類はつねに暦年齢を基準に行動してきたわけではない。誕生日をパーティーで祝うという習慣も、20世紀になるまで存在しなかった。人類の歴史のほとんどの期間、人々は自分の誕生日はおろか、生まれた年すら知らなかった。
「いま何歳?」質問する人は思考停止している訳
この記事を読んでいてふと思った。普通の生活において(暦)年齢は気にしないほうが楽しいのではないだろうか。
理由その一:自己研鑽のモチベーションが上がる
長く生きるほど印象の年齢(見た目と中身)の個人差は生活習慣によって大きくなっていく。でも、そんなことはお構いなしに「人間は暦の年齢で判断される」となると、自己研鑽のモチベーションが下がってしまう。
理由その二:人間関係の面白さが上がる
人間は単に若い方が良いという訳ではない。大体はその年齢によって、遊び力、走力、学力、就職、ユーモア、センス、モテ、稼ぎ、社会的地位、結婚、子供、などの競争と苦労がある。相手の暦年齢を知り(例えば、その人が〇〇に興味がなかったとしても)勝手にそういう競争や苦労を考えてしまい色眼鏡で人を見てしまう。その限られた視界から見える相手の人生の可能性は狭いものになり、その人との会話もそれに合った小さくつまらないものになる。
今のところ例外なのは、出産で、これだけはかなり暦年齢に左右される。この変数が人間同士の付き合いに大きく影響しているような気がする。
最後に、この文章を書いていて思った。出身地、性別、人種も気にしないほうが面白そうだということだ。
もしかするとVRには案外大きな未来があるのかもしれない。